認証百合・プロローグ
この記事は百合SS Advent Calender 2018の23日目の記事となります。
「サヨナラ、アリス」
そう言って少し悲しげに微笑む彼女はきっと、私と違ってサヨナラを言い慣れているのだろう。
今年の流行語も、今年の漢字も決まり、テレビも東京オリンピックの話題に飽き始めていたあの日。 彼女の家の前。いつもならば学校からの帰り道で、私と彼女が別れを告げるT字路にて。
伊武崎さんは私に対し、最後の挨拶を投げかけた。
伊武崎アリサさんは今年の4月、私達の中学校に転入してきた転校生だ。
ロシア人の父と日本人の母を持ち、両国の言語もペラペラ。しっかりとキューティクルがケアされた栗毛色の髪は、日本の学校ではとても特徴的な存在だ。 染料で染め上げたのでは、と憂うほどに美しく蒼い瞳に睨まれてしまうと、あの生徒指導の先生ですらもたじろいでしまう。
そんなかわいい盛りの14歳の美少女が、かわいいセーラー服を普段から身にまとっているのだから、正直卑怯なまでにかわいい。一文にかわいいを3回使用し表現してしまうほどには、同性の私から見ても愛くるしいの存在なのである。
とはいえ4月の当初、伊武崎さんは無口なタイプだと思われていた。 私も最初は彼女が日本語に慣れていないのだろうかと思い込んでいたが、実際は周囲の人間の方が彼女に声を掛ける行為をはばかっていただけだったらしい。
一方でわたくし有栖川よし子は、話題の伊武崎さんとの交友関係を深めたいという一心を秘めていた。 だからこそとある朝、私は一念発起し、
「ず、ずとーらーすとびーちぇ!」
などと緊張しい一声をかけさせて頂いたのである。 これは一晩で覚えたロシア語のご挨拶のつもりだ。
小難しそうな小説を読んていた彼女はびっくりして、私の方をきょとんとした顔で見つめると、
「ひょっとしてそれ、挨拶のつもり?」
と苦笑を浮かべながら返されてしまった。
この10秒にも満たないやりとりにより、彼女との後に8ヶ月に渡る交友関係はあっさりと幕を開けてしまったのである。
それから私達は14歳という多感な時期を、ひたすら川辺やカラオケで雑談するという贅沢な帰宅部活動に費やした。
内容は趣味、価値観、日本とロシアの考え方の違いから、好きなクレープの具や猫の動画に至るまで。 1つ1つはくだらないことばかりであるものの、喋れば喋るほど彼女の日本語に対する貪欲さを理解することができた。 どうやら彼女の側でも私から吸収した知識は生かされていたらしく、それは彼女が苦手としていた国語の期末成績へと如実に反映されていた。
親しくなってからの彼女は、私のことをアリスと呼んだ。本当は終わりにガワ、まで付けてほしいのだが、そのほうが呼びやすいのであれば仕方ない。
一方私の方からは、最初から最後まで伊武崎さんだった。あだ名でも下の名前でも自由に呼びなさいよ、と彼女は時折ぷりぷりと怒ったが、どうにもこの方がしっくり来るのだから仕方ない。 それにアリスとアリサではイントネーションが似ているから、私の方が間違えてしまうじゃない、と軽く反論したのだが、それは私が分かるからいらない心配よ、と一言で流されてしまった。
結局しっくりとくるあだ名は、最後まで思いつかなかった。
夏休みは二人で海まで遊びに行ったり、秋には一緒に模試を受けに行ったり、冬に向けておそろいのコートを買いに行ったりしていると、季節はあっという間に12月を迎えてしまう。
今思えば、彼女がこの頃から何かを言いたげにしたり、そわそわする様子に対して、何かしら怪しむべきだったのだろう。 彼女が重い口を開いたのは、1週間後のクリスマスパーティへの参加を渋る理由について、私が問いただす段階に至ってからだった。
つまりは、あまりにも遅かったのだ。
彼女はずるいやつだ。 だから今夜の便で彼女が日本を旅立つという事実に対してすら、私の中でこれっぽちも実感が湧いてこないのだ。
次の瞬間、私は彼女の手首を掴んで引き止めていた。
「……ずるいよ!」
「アリス……」
「伊武崎さんにとっては、何回かある転校のうちの1回かもしれない!だから私も、数ある友達のうちの1人かもしれない!」
「……っ」
「でも私にとっては違う。貴女は私に初めてできた、ロシア人と日本人のハーフの大切な友達」
一度言葉が口から決壊すれば、もうそれを止めることはできない。
「伊武崎さんが友達でいてくれて、隣にいてくれるだけでも、私は誇らしかった。貴女の表情に笑みが浮かべば一緒に嬉しくなるし、貴女が悲しい表情をすれば理由を問いたくなる」
「アリス、お願い。もうやめて……」
「でもこんな最後ってある?この感情が私の一方的な思い込みで、ワガママだったとしてもいい。でも、貴女には……少しだけでもよかった。別れを惜しんで欲しかった。私達にとっての8ヶ月が、こんなにもあっさりと閉じるものであって欲しくはなかった」
「そうじゃない、そうじゃないけど……」
「じゃあどうして?どうして1週間前になるまで教えてくれなかったの!」
「…… 5 лет」
「えっ?」
「5年よ」
「なっ、何がよ」
「私が日本に帰ってこれるまでに、最低でもかかる年数」
ごうんがらんがらん、ごうんがらんがらん、と鐘の音が低く唸る。 私が口を開いた瞬間に、ニコライ堂の鐘は声をあげる行為そのものを抑制した。 沈みかけた夕日が照らしあげたのは、いかにも人工的で、不自然で、それでいて寂しげな伊武崎さんの笑顔だった。
「ロシアにいる親戚のおじさんがね、お仕事でちょっと問題を起こして、モスクワに強制送還されたの。それに伴って家族も帰国する義務が生じたから、最短でも日本への渡航許可が降りるのにかかる期間が5年」
「そんな、そんなむちゃくちゃな話って……」
「そう、馬鹿げてるし、むちゃくちゃな話。だからねアリス、貴女には私のことを忘れてほしかったんだ。私の存在そのものを、記憶のカケラも残すことなく。大切な友達だからこそ、貴女が最も傷つかずに、数年経てば古い思い出となるように」
「そんな、そんなのってあんまり……!」
「でも貴女のことが嫌いなわけじゃない。これだけは信じてほしい」
伊武崎さんが顔を上げ、こちらに向き合う。 「だってさアリス、私は嬉しかったから。心の底から、本当に嬉しかった。パパの転勤に連れられて引っ越しばっかりだった私にとって、初めてできた親友がアリスでいてくれて」
「伊武崎、さん……」
「アリス、ごめんなさい。だから今日で私なんかとの思い出をさっぱり忘れて、明日から新しい友だちでも作って、アリスには幸せな学生生活を送ってほしいの。これは私からのお願い」
「分かった。伊武崎さんがそういうなら、私はそうする。でも……1つだけ聞かせてほしい」
「……」
「伊武崎さんはさ、自分から望んでロシアに行くの?」
次の瞬間、伊武崎さんは私の胸元に飛び込んでいた。 「……親友と初めてのクリスマスを過ごせないような運命を、私が望むとでも思った?」
抱きとめた彼女の体は、小刻みに震えていた。 私には彼女の頭を、髪の毛にクセがつかないように、優しくなでてやることしかできなかった。
「5年後のクリスマスに、また会いましょう」
伊武崎さんの思いつきにより、また明日、ぐらいの感覚であっさりと5年後の約束が交わされてしまった。 「5年後かぁ……その頃に私達はもう20歳?」
「じゃあきっと大学生で、お酒も飲めるようになってるわね」
「ひょっとして、もう東京オリンピック?」
「いや、それはまだもう少し先じゃないかしら」
「5年後なんて、全然想像がつかないわね。その頃にはきっと新しいiPhoneのモデルが出てるんでしょうけどね」
今の私達にとって最後の雑談を賑やかしている間に、1人の女性が私達の元に近づいてきた。 伊武先さんのお母さんだ。 「アリサ。お話中悪いけど、そろそろ時間が……」
「あっ、そうだった。飛行機は待ってくれないものね」
「伊武先さん……」
「それじゃあアリス、また会いましょう。5年後に」
「でも私達、5年も経てば姿形も変わっちゃって……もう再会しても、お互いが分からないかもしれないわ」
「確かにそうね」
「じゃあ伊武先さん。合言葉を決めておきましょう。再会した時お互いに『ネリネ』と口にするの」
「ネリネ?」
「そう、花言葉は『また逢う日を楽しみに』」
「まぁ素敵ねアリス……アイデアは悪くないわ。でも……」
「でも?」
「その単語、私5年も覚えられないわ」
2013年12月23日16時21分 認証百合・プロローグ 完
宿題: 彼女らが5年後に再会した際、どのようにしてお互いを認証すればよいか?